京都3 2001年8月17日(1)

あれは確か海辺で開催された夏のイベントの打ち上げの宴席。

ちょうど夏休みだったアタクシは京都か庄内か萩に行きたいと思っていて、誰かー一緒にいってぇ〜、と無駄に騒いでおりました。宴会もはねたころにふと横にいたうさこ様が「京都とか行きたいんですよね〜」とのたまっているのを小耳に挟んだ藤誠、「行こう行こう!明日行こう!」と無責任に騒いでみたところ、うさこ様曰く「私、17日から夏休みなんですよ…」
善は急いじゃうもんね、と急遽決定したのが、この京都・八一八の政変ツアーです(爆)

こんな切羽詰まってから宿が取れるかどうか心配だったのですが、だめもとで旅行前日に高台寺党の宿舎だったという月真院に電話してみたところ、二つ返事でOKが!宿代1泊3000円です。今回の旅は、その分グルメに回そうということで意見が一致し、ホクホクしながら旅行当日い備えました。
京都に到着したのがお昼くらいだったので、まずは近いところから、ということで京都守護職が置かれていた場所へ。京都府庁を撮りに行ったつもりなんだけど、碑とか、場所がぜんぜん分からず苦労しちゃいました。
そして、池田屋事件のスタート地。八坂さん前へ。ちょうど八坂さんの前のコンビニが集会所跡なんですが、写真撮ってると変な目で見られる。さもありなん。でもその訳を知っている組関係のヒトは、ああ、という感じでスルーしてます。
写真見ながら、ここ何処だっけ??とか思ってしまいましたが、幕末史跡巡りの定番、しる幸。八坂さんから高瀬川に沿って歩き、四条小橋を渡ってちょっと上がるとあります。古高俊太郎の隠れ家ですね。建物は立て替えられて残ってないのですが、一角だけ、当時のままの場所が店内に残っています。2軒先に谷干城が住んでいた家がありました。
しる幸のお店の前に碑が建っています。
谷干城寓居跡を通り過ぎ、河原町通りに出て、上ったところにあるのは中岡慎太郎寓居跡。河原町通り沿いには、薩長土佐系の史跡が密集していますね。碑だけがかろうじて残されている感じで、ファンじゃなかったら気にしないかも。
中岡慎太郎寓居あとを過ぎてどんどん上がり、三条大橋の近所まで来たところに、近江屋さん跡があります。坂本龍馬と中岡慎太郎が遭難した場所。お店の中で、たまに坂本龍馬に縁のイベントをしていたりします。
近江屋跡からちょっと戻って、今度は木屋町通りのほうに渡ります。土佐藩邸跡地を左に見ながら高瀬川のほうに向かうと、本間精一郎遭難の地が。木屋町通り沿いです。このおうちの奥の方に、岡田以蔵が付けたという刀傷があるらしいのですが、どーやって奥まで行くのか、ワタクシ行ったことがございません。このあとも木屋町通りをどんどん上がります。

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