京都3 2001年8月17日(2)

さらに三条通りから木屋町通りに向かってどんどん上がる。日が暮れないうちに史跡を回れるだけ回ります。
三条大橋の掛かっている場所、といえば池田屋跡地。ワタクシが見たときはパチンコ屋さんでしたが、今は何が建っているのでしょう。
池田屋の前から高瀬川沿いの道に出て、こんどは長州藩邸跡に向かって上っていきます。
これは木屋町通りにある吉村虎太郎の寓居跡。寺田屋事件のために捕縛されて土佐に送り返されていた彼は、朝廷の内旨によって許され、再び上洛し、文久三年二月から八月まで、この地に隠れ済んでいました。
吉村の寓居のすぐ近く、武市瑞山が隠れ住んでいたという旅館「丹虎」。土佐勤王党を結成した武市が文久二年から一年ほどの間、住んでいたという。
史跡ではありませんが、ちょうどおなかもすいたので、木屋町通りではお気に入りの店「左近太郎」に入ることに。カクテルに高杉晋作とか桂小五郎とか、面白いものが取りそろえられており、ご飯も美味しいです。お値段も安い。ハモのご飯とか頂きましたが、ウマーでした。このすぐ近くに桂小五郎が住んでいました。
左近太郎の斜め向かい、高瀬川を挟んだところに佐久間象山の碑が。佐久間象山が山階宮に会いに行き帰る途中、弟子の蟻川賢之助を訪ねて本覚寺に行った帰りに襲撃を受けた場所です。元治元年七月十一日のことでした。象山の体には大小十三カ所も刀傷があったそうな。
桂小五郎(木戸孝允)が病気で亡くなった場所。今は旅館になっています。
 

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